教室ブログ
算数・数学
2020.09.23
「わからない」と言える勇気
「たとえ、世界中の人が《わかった、簡単だよ》と言ったとしても、自分がわかっていなかったら《いや、自分はわかっていない》と言う勇気。それが大切なんだ」ー『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』第5章より
最近ちょっと感動した言葉を記してみました。
--------
「わかる」ためには、まず「わかっていない」ことを自覚できることが大切です。
でも、集団教育の中では、それには多少の勇気が要ります。
「みんなと同じ」状態は安心であり、
「みんなと違う」状態は怖いから。
これはほとんど本能でしょう。
だからこそ、家庭や私塾など、個別教育が可能な場では、あえて「みんなと同じでなくていい」と教えることが必要ではないかと思います。
わかならくても怒られない
わからないときはいつでも訊ける
わかるまで待ってもらえる
そんな安心感をまずは与えてやりたいと思います。
2019.05.19
「+」は「たす」と読む?「プラス」と読む?
数学の話題です。
学習指導をする中で、生徒の躓(つまづ)きから学ぶことが多々あります。
今回はその1つについてお伝えしたいと思います。
今、中一生は学校で「正の数・負の数」を学習中と思いますが、
その加法・減法の計算に躓いていませんか?
もしそうなら、次の式中の「+」をどう読むか調べてみて下さい。
+5++3 (カッコはあえてつけていません)
正しい読み方は「プラス5 たす プラス3」です。
もし、下のいずれかに当てはまるとしたら、早目に手を打つ必要があります。
①「+5」を「たす5」と読む
②「5++3」を「5たすたす3」または「5プラスプラス3」と読む
①のような読み方をする場合は、
正の数・負の数とは何か、がわかっていない可能性があります。
②のような読み方をする場合は
「計算記号の+-(たす・ひく)」と「符号の+-(プラス・マイナス)」を区別できていない可能性があります。
この区別については、教科書では触れられておらず、指導上の盲点となりやすい箇所です。
詳しく見てみます。
「計算記号の+-」は、
前後の2つの数について「たす・ひく」という動作をする、の意味を持ちます。
英語でいうと「動詞」の働きを持ちます。
それに対して、「符号の+-」は、
「正の数か、負の数か」の区別を表します。
英語でいうと「冠詞」(aやthe)の働きします。
両者は同じ記号を使いながら、意味や働きが全く異なりますので、
学習の初期においては、躓きの原因になりやすいのです。
この区別は「項」の理解に欠かせない根本的な事柄ですし、今後の方程式の解法にも関わります。
もし現時点で躓いているのなら、しっかり区別するよう指導をしたいところです。
2018.06.13
お肉屋さんで「無限」を見た話(3)
5/15のブログで、こんな問いを立ててみました。
<「無限」という語彙を持つことと、算数・数学ができることとの間には、どんな関係があるのか >
考えても結論が出ないので、ネットで調べてみたところ、
次のような研究が目に留まりました。
●福島大学付属図書館
研究によると、子どもはいきなり「無限」について理解するのではなく、
まずは「稠密性」の概念を獲得し、
その後「連続性」や「無限多」の概念へと進むようです。
数の稠密性や連続性は、量や関数の理解に欠かせない概念ですから、
それらの概念が獲得されていないと、上記単元で躓くことが容易に予想されます。
したがって、「無限」をボキャブラリーとして持っている子は、稠密性や連続性については当然クリアーできており、
量や関数については十分理解可能、すなわち算数・数学ができることが多いのであろうと思われます。
2018.05.15
お肉屋さんで「無限」を見た話(2)
小6の算数に「対称な図形」という単元があります。
その中で「線対称」「対称の軸」について、毎年、次のような問答をしています。
私「正方形には、対称の軸が何本ある?」
生徒A「2本」
私「もっとあるぞ」
生徒A「…あー、4本」
私「正六角形には?」
生徒A「…6本」
私「正八角形には?」
生徒A「…8本」
私「では、円には?」
この問いに対する生徒の答え方は、だいたい次の4通りに分かれます
● たくさん
● わからない
● 数え切れない
● 無限
どの答え方も、同じ事柄を言おうとはしているようです。
しかし、とりわけ「無限」と答えられる生徒は、算数・数学がよくできる傾向があると、最近気がつきました。
傾向が見えると、それはなぜなのか知りたくなります。
そこで次のような問いを立ててみます。
<「無限」という語彙を持つことと、算数・数学ができることとの間には、どんな関係があるのか >
もしその関係が分かれば、算数・数学を得意にする、1つの方略が見えてくると思われます。
(いつかに続く)
2018.05.14
お肉屋さんで「無限」を見た話(1)
小学生の頃の話。近所のお肉屋さんにお使いに行ったことがあります。
店の左右の壁際には、鏡が1枚ずつ据えつけられていました。
左に目を遣ると、自分の姿が写っています。
右に目を遣ると、やはり自分の姿が写っています。
「!!!」
すごい発見をしました。
鏡の中に鏡がある。その鏡の中にも鏡がある。その鏡の中にもまた鏡が!
いったいどこまで続いていくのだろう
それを見極めようと、顔を近づけてみました。
鏡の中の自分は、表、裏、表、裏しながら、どこまでも小さくなっていきます…
(続く)
2018.04.22
折り紙(承前)
そんなことを2、3日繰り返した後、分かったのは、
「やっぱり、折り紙は伸びていない」
「たてが短くなったんだ!」
という、大人にとっては「当たり前」な、
しかし、子供の私にとっては「大発見!」なことでした。
--------
ホームページの閲覧数もまったく伸びていない…
何とかしなければ!
(教室だより作成のため、ブログはしばらくお休みいたします)
2018.04.21
折り紙
まだ小学校に上がる前だったでしょうか。
折り紙を折っていて、不思議な気持ちになったことがあります。
正方形の折り紙を半分に折って、長方形にした途端、
「びろん」と横に伸びたように感じたのです。
紙ですから、引っ張っても伸びはしません。
でも、折った瞬間、横に伸びる。
おかしいな、おかしいな、と思いながら、
何度も折ったり、広げたりしていました。
(続く)
2018.04.19
昭和の初めの算数授業
過去の教室だよりから。(平成17年4月号)
------------------------
桜はもうすっかり見頃を過ぎてしまいました。…先日、桜が満開だった日に、大叔父からこんな話を聞きました。
小学校に上がった昭和の初め、最初の算数授業で、担任の先生は子供たちを校庭の桜の木の下に集めたそうです。
そして一枚の桜の花びらを拾い上げ、松葉に刺して言いました。
「花びらが一枚」
皆も同じように一枚拾い上げ、松葉に刺しました。
続いて先生はもう一枚刺して言います。
「花びらが二枚」
そうやって、一から十まで教えてもらった、と。
ああ、そんな教え方もいいものだなあ。
過ぎ去った遠い過去の話ですが、
桜の花びらでできた髪飾りを手に、はしゃぐ子供たちの姿が目に見えるようでした。
------------------------
改めて祖母に捧げます。
よい話をありがとう。